塚本地車:昭和50年

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昭和40年代の塚本地車画像をいただきました。
ありがとうございます。

画像提供:西淀川区 北川さん、撮影日 昭和40年代?

以下、北川さんのコメントとともに塚本地車画像を
掲載いたしましたので、ご覧下さい。


「これは神社境内での写真と思われますが、ネコ木の下にブロックなどをかま
しておらず、現在のようなシャッター式の小屋に入っていないことから曳いて
いた頃の写真かもしれません。
「鎮守塚本」という昭和57年に発行された塚本神社20周年記念誌によると、
この地車は4代目(といっても2代目、3代目は地元の手作りだんじり)で昭和
41年7月に購入され曳きだされたと記されています。
しかし、私が物心ついたころに塚本の夏祭りにはよく出かけていましたが、
地車を曳いている記憶がない為、巡行は数年のみで昭和40年代後半には
巡行停止されていたと考えられます。
この写真が曳いていたときのものであれば昭和41年〜昭和40年代後半の
写真ということになります。」

なお、2003年夏祭りに管理人が撮影した塚本地車も参考に掲載いたしました。
お願い:この画像を見て、撮影年が特定できる方はぜひメールをお寄せ下さい。


このページを見た吹田市の児島さんからメールを頂きました。
ありがとうございます。
全文ではありませんが、掲載させていただきます。

「はじめまして。偶然にHPを拝見しました。とても楽しいサイトです。さて、塚本地車
の撮影日ということですが、正確にはわかりませんがおそらく、昭和50年代初期の7
月20日あたりではないかと思われます。この写真のまん中に写っている縞のシャツの
少年は私の同級生です。びっくりしました。私の家は塚本3丁目にあり、また母の実
家は塚本神社のすぐ前にあった畳屋で、私はこの畳屋の店先でいつもお祭りを見てい
ました。地車は各丁目ごとにあり、これは3丁目のものです。3丁目の地車はご指摘の
とおり、曳行されずずっと神社の中に設置してあり、そこで祭囃子を奏していたよう
に思います。これは他の丁目の地車に比べ細工が凝っていて重いためだと、神社の宮
司さんから聞いた記憶があります。
昭和50年代という根拠は、写真に写っている私の同級生の容姿が、中学生くらいの時
の記憶と重なる(小学校は昭和50年春に卒業)のと、同級生の向かって左横に写って
いる人のTシャツが、私が中学の時に塚本、十三で流行った感じのものだからです。
塚本の祭は夏休みの初日前後に合わせて開催されていたので、おそらく7月19日か2
0日でないかと思われます。

塚本のお祭りにも長く行っておりません。物価も家賃も安く、昔ながらの落ち着いた
庶民的な町でした。子供達は皆「塚本一は世界一」などと変な歌を勝手に作って歌っ
たものです。」

このメールをもとに本ページ掲載の画像は昭和50年撮影とさせていただきました。
またページタイトルも「塚本地車:昭和50年」とさせていただきました。
以上、2004.1.31更新


塚本地車 昭和40年代半ばの写真か
⇒昭和50年の地車画像 2004.1.31

現在とは異なって屋外に据え置かれています。


拡大画像 塚本地車正面懸魚周り


参考:2003年夏祭りに管理人が撮影した塚本地車前部
小屋の中に据え置かれています



拡大画像 地車下部
ネコ木の下にブロックは無いようです。曳行していた頃の写真でしょうか?



参考:2003年夏祭りに管理人が撮影した塚本地車下部
ネコ木の下にブロックが置かれています。


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